高神山観音寺は,9世紀の初期嵯峨天皇の時代弘仁3年(西暦812年)に,弘法大師が日本武尊を御神霊を仏像としてまつり,神事山と称したのが始まりで,その後,寛治元年(1087年)に大和の国の法陵律師という聖僧が,神事山の観音大士のおつげにより当地を尋ね,檜の大樹の下に,尊き十一面観世音菩薩のおわします姿を見い出して,御堂を建立安置したのが縁起です.
当山は,真言宗御室仁和寺派に属し,前述のように住吉は神事山(かうじかやま)といい,後に高野山の一字をいただいて高神山と改めました.
俗に荒神山と書いて,次郎長伝吉良の仁吉で全国にその名が知らされています.
寺院には,十一面観世音菩薩と日天,月天,地天の銅仏が安置してある本堂,春日局が寄進した梵鐘がおさめられている鐘樓堂,三宝荒神と九面観世音の二体が安置されている奥之院があります.
また,当山には慶応2年4月,当山に散華した吉良の仁吉の碑,その仁吉を倒したとされている火縄銃,弾痕などが残されています.